言葉にできないコトバたち

感情を言葉にするのが苦手。感情と思考をメタ認知する為に書いています。顔も名前を知らないあなた宛ての手紙たち。

こころに水やりをした日のこと

ぱさついていたこころに水やりをした。

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて 

茨木のり子
詩集「自分の感受性ぐらい」(1977刊)所収)

 

茨木のり子先生の言葉だ。

戦後を生きた凛とした姿勢の女性はロールモデルの一つだ。

 

水やりをすると、認知の大切さに気が付く。

認知は思考になり、思考は感情になり、思考は行動になり、行動は習慣になる。

そして習慣は結果を創り過去となり、また習慣はその人の生き方につながる。

*認知トライアングルの正式な定義は心理学の専門書を参照してください*

どのような思考を持つかによって、どのような人生を生きるかが決まる。思考を創るのは遺伝もあるが、環境の影響が大きい。少なくとも私は環境に作用されやすい。そのため、コミュニティに所属するときには組織の長の人生や価値観が「私」によく影響する。

 

There is always solution. いつも解決策はある。

 (筆者が大切にしてる言葉より)

 

見方を変えていないから、前しか見ていないから困ってしまうのだ。例えば、カギのかかった扉を前に動けないと思い込んでも、天井がない部屋にいるとしたら、梯子を使って上から部屋を脱出することができるかもしれない。

助けを求めるために叫べば「ここに梯子があるよ。」、「上に天井はないよ。」と教えてくれる人はいる。そういう人に、水やりをした日には出会うものだ。水やりをするほどやや余裕があるからかもしれないが、とにかく、一瞬えいっと問題からはなれてみるものいいなと思った。

 

視点の変化にまつわるエピソードを1つ。

異なる文化を持つ人を理解することは難しい。言語が通じない。インターネットが普及したからといって、すぐにコミュニケーションが円滑になるわけでもない。相手がテクノロジーに不慣れであると特に。そんな時は話すべきトピックから離れて、肩の荷が降りるような話をすると良いと学んだ。(あきれる?(笑))私は旅行の前に計画を立てたいタイプだけれど、そういうのが堅苦しい人もいるでしょう。この堅苦しさ、目の前しか見えないことで、周囲と気持ちの乖離が生じていることが辛いのだが、何せ前しか見ていないのだから自分では気が付けない。親切な人がちょっと堅苦しくない?と尋ねてくれたり、そのあたり上手な人がイニシアチブをとってくれたら良いのだが…

しかし、何事もやってみることで、自分にとって心地よい方法を見つけていくものだ。異なる環境に身を置き続けてメタ認知を繰り返し、自動化した思考を問い直す。この過程はいつまでも「私」は創られ、アップデートされ得ることを意味している。これが、human-beingだけが授かった自己実現の欲求を、必ず迎える死ではなく、目の前の生に注ぎ込みたいと思わせる理由だ。

 

 

2021年

初めてはてなブログを更新してからしばらく経ってしまっている。

 

あれから筆者はアメリカの大学の3年生に編入した。

心理学を専攻し、児童心理学の授業を受ける前に退学した。

コロナの影響だ。

濃密な一年間だった。

恵まれた環境と人に助けられ、サバイバル生活を終えられたことには、感謝の気持ちしかない。

大学を卒業して心理的に社会に出る準備ができていなかった私は、アメリカで一回り成長したと思う。

正直、渡米前は血の気が多かったというか…(笑)

なんと言えばよいのだろう、環境や遺伝の影響を統制する術を知らず、冷静に人生を見つめることが難しかった。今でもそうなのだが、以前はさらにひどかった。

 

ポジティブ心理学の授業を受講して、自分を大切にする方法を学んだ。一人の時間が増えて、孤独と友達になる過程を味わった。それらはこれから始まる新しい章の基盤になっていくだろう。

 

表題の2021年というのは、

この年が私にとって新たな章の幕開けであることを意味している。

 

私は人間が好きだ。

それ故、学問としては「教育」が私の根っこにある。

近づきすぎては時々やけどをするので、

いつも興味対象との丁度良い距離感を探している。

 

次章では、本質をさらに際立たせる新たなスキルを習得しにいく。

 

筆者は、要領が良いわけでも地頭が良いわけでもない。

しかし、習慣化した環境ではメタ認知の衰え、つまり脳の退化を無意識が感じ取り、新たな土地へと筆者を向かわせる。

色々とすんなりこなせない筆者だからこそ、もっと成長しなければ、このままではいけない、といつも危機感に突き動かされている。

 

安心した場所に居続ければいいのに、なぜ人は移動し続けるのだろうか。

 

生まれた場所で一生を終える人がこの世にどれほどいるのだろう。

なぜ私は移動し続けるのだろう。

出会っては本当の独りを知ってしまう絶望を何度も経験して動き続ける人類は、私にとってとても興味のある対象であり同時に愛しく、かなしい存在に思える。

 

ある人によっては、どうでも良いと思える、そんなもやもやを私は大切にしていきたい。

You

あなたは今どこで何をしていますか? この空の続く場所にいますか?

 

私は、大切な人を失ってから一年間、この曲に助けられていました。

当時は、何度もこの曲を聴いていて、なぜそんなに聴いていたのか、

最近になって分かった気がしています。

 

今まで私の心を埋めていたモノ 

失って初めて気付いた

こんなにも 私を支えてくれていたこと

こんなにも笑顔をくれていたこと 

失ってしまった代償は とてつもなく大きすぎて

取り戻そうと必死に 手を伸ばしてもがくけれど

まるで風のようにすり抜けて

届きそうで届かない

 

孤独と絶望に胸を締め付けられ

心が壊れそうになるけれど

思い出に残るあなたの笑顔が

私をいつも励ましてくれる

もう一度あの頃に戻ろう

今度はきっと大丈夫

いつもそばで笑っていよう

あなたのすぐそばで…

 

あなたは今どこで何をしていますか?

この空の続く場所にいますか?

いつものように笑顔でいてくれますか?

今はただそれを願い続ける…

 

家族を大切にしよう。

そう素直に思えたのは、心に余裕をもって、自分を大切にできた瞬間からで、

ほんの最近のことです。

 

今まで、私の心を埋めていた大切な人との思い出、

失ってはじめて、楽しかった日々、その人から知ったことが、

「今の私を作っている。」そんな当たり前のことに気が付かされました。

 

現実は、孤独と絶望を感じる以前に、受け止めきれず、

どこか他人事のような感覚。自分は何ともない、そう自分に言い聞かせていた。

 

時が経ち、歌詞にもあるように、” 今度はきっと大丈夫 ” 本当にそう思える日が来るのだろうか。

家族を大切にしよう、そう思い、家族への恩返しを少しずつでも、

行動に移せるようになってきた現状。

 

大切にしすぎて、それを失ったときが怖い。

きっと立ち直れない。

 

本当の強さを、私はまだ持っていない。

自分のぶれない軸、価値観、人格をゆるぎないものにしないと。

 

自分を、大切な人たちを、

自分の中で抑えきれなくなってしまって、氾濫した弱い部分の負の影響から守るために。

 

感情が思い出せないときはありますか?

 

お久しぶりです。

 

色んなことがあって感情がたまってきたので、久しぶりに更新しようと思います。

書かないと多分大事な気がしているこの気持ちを忘れてしまいそうなので・・・。

 

 

今日の話題はタイトルの通りです。

「???」意味分からないですよね。

少しづつお話ししていきます。よろしければ、お付き合いください_(._.)_

 

 

私は、自分の感情が思い出せない時が多いです。

自分を客観的に観察するときに役立つのが理論です。

こんな言葉があります。 

『アレキシサイミア』

 

アレキシサイミアとは…

その場で自分の感情を認識しにくい状態のこと” (LITALICOさんより)

h-navi.jp

 

 

正直、発達障害は前々から感じることがありました。

(話聞いてるようで上の空な私を見たことある人もいるかもしれません)

 

大学生になり、自分の好きなことを何でもできる有難い環境。

もともと色々な分野に興味関心があり、チャレンジ精神が旺盛だったので、

特に大学3年生では色んなことに挑戦しまくりました。

 

その結果・・・

 

 

注意欠陥(ADD)が際立ち予定を忘れることが多くなりました。

 「なぜ自分が周りが出来ていることが出来ないのか?」

 自尊心だけは人一倍持っていたので「周りに出来ているのに自分にできないはずがない。」と思ったり。

 

 

正直、自分の特性を受け入れたくありませんでした。

でも、劣等感というものは持っていない人はいませんよね。

痩せていて羨ましいと思っても太れない体質だとか、むしろコンプレックスであったり。他人が見て羨ましいと思う点は、往々にして本人にとっては劣等感だったりします。特に、誰かや何かを形容する際は要注意ですよね…

 

 

そして、最近・・・

私は、ボランティア活動が好きで、

この一年間は特に色々な人と出会い、学ばせていただきました。

そしてその経験を、「ボランティアに興味があるんです!」と、

目をきらきらと輝かせている一年生や二年生に話させていただく経験が増えています。

有難い話です。なにより嬉しい。

 

しかし、

自分が本当に伝えたいことが伝えられない・・・(葛藤…)

自分の活動とか経験を羅列して語ることは出来ます。

でも、本当に大切なのって、『その時、自分が経験から何を感じたか?』

その「想い」を言葉にして伝えることじゃないでしょうか。

 

「昔のことはなかなか思い出せないよね。」

 

そうなんですけど…

私の場合、なぜ高校生の時にボランティア始めたのか?とか、

 

「そこ忘れる?!」

 

というような、人生で大事な選択をした時の感情が思い出せないです・・・。

 

忘れないだろうと思っていた感情なだけに、自分でもかなりショックです。

 (これまた信頼できる情報か疑問ですが、ひとの直感の9割は当たると言うので、直感で行動してたと言うことにしましょう、少なくとも5割は超えてるでしょう)

 

 

 

最後に。

自分はなんでこうなんだろう。

みんな苦しい。

 今は、特性に気が付いたばかりで意識しすぎているところもあります。

でも、 

自分の特性とうまく付き合う、それが、これからの課題だと思っています。

 

付き合うことができてからが、

自分らしく生きられる私の人生のような気がしています。

 

 

生きよう!

 

留学を決意した大学3年生のもやもや

 

 

「ファーストペンギンになることが、こんなにも孤独で、辛くて、悔しいなんて、想像していなかった。」

 

 

 

1年前、漠然と、留学したいと思っていた。

その時は、英語が話せるようになりたい、自分を変えたい、環境を変えたい、その気持ちが強かった。


でも、今は明確な理由がある。

「英語が話せるカウンセラーとして、災害時に行動できる人間になる。」


私は、声にならない思いを沢山こころに溜めては、次の日にはこの思いを忘れられるように眠った。でも、声にならない思いのなかには、忘れたくない思いも沢山あった。

亡き父との思い出、本当は話したかった言葉、伝えたかった思い。

トラウマ体験によって表出できなくなった声にならないあふれるほどの想いをもつ人たちのために、生きていきたい。
彼らとのかかわりの中で、私自身が押し殺してきた感情を取り戻すヒントを得たい。

特に、いつどこで起こるか分からない自然災害は、生まれ育った環境に関係なく、あなたにもトラウマ体験を負わせるリスクを持っている。
緊急時に、国籍、年齢、関係なく、全ての人を助けたい


本場の心理学と英語を学ぶために、

自分の感情を表出できるようになるために、留学をしたい。


実際に行動し始めると、現実は厳しかった。

限られた留学制度、前例のない事態。

担当者に現実的には厳しいと何度も返された度に涙がこぼれた。

大学が何のためにあるのか、私は、何のために大学に行くのか分からなくなった。

学生の自己実現のためにあるのではないのだろうか。

休学する分、卒業が伸びるけれど良いの?何度も言われた。

夢を追いかけるために卒業が延長されたらだめなのだろうか。わからない。

表向きだけを気にする大学が本当に本当に嫌いになった。(合格いただいたのにこんなことを…ごめんなさい。)

心底、誰にも、応援されてないと悲しくなった。


誰かに用意されたレールを生きること簡単で一見楽そうな方ではなく、本当に生きたい自分の人生を生きる。


だからいつでも孤独。孤独は友達。あきらめない。