言葉にできないコトバたち

感情を言葉にするのが苦手。感情と思考をメタ認知する為に書いています。顔も名前を知らないあなた宛ての手紙たち。

2021年

初めてはてなブログを更新してからしばらく経ってしまっている。

 

あれから筆者はアメリカの大学の3年生に編入した。

心理学を専攻し、児童心理学の授業を受ける前に退学した。

コロナの影響だ。

濃密な一年間だった。

恵まれた環境と人に助けられ、サバイバル生活を終えられたことには、感謝の気持ちしかない。

大学を卒業して心理的に社会に出る準備ができていなかった私は、アメリカで一回り成長したと思う。

正直、渡米前は血の気が多かったというか…(笑)

なんと言えばよいのだろう、環境や遺伝の影響を統制する術を知らず、冷静に人生を見つめることが難しかった。今でもそうなのだが、以前はさらにひどかった。

 

ポジティブ心理学の授業を受講して、自分を大切にする方法を学んだ。一人の時間が増えて、孤独と友達になる過程を味わった。それらはこれから始まる新しい章の基盤になっていくだろう。

 

表題の2021年というのは、

この年が私にとって新たな章の幕開けであることを意味している。

 

私は人間が好きだ。

それ故、学問としては「教育」が私の根っこにある。

近づきすぎては時々やけどをするので、

いつも興味対象との丁度良い距離感を探している。

 

次章では、本質をさらに際立たせる新たなスキルを習得しにいく。

 

筆者は、要領が良いわけでも地頭が良いわけでもない。

しかし、習慣化した環境ではメタ認知の衰え、つまり脳の退化を無意識が感じ取り、新たな土地へと筆者を向かわせる。

色々とすんなりこなせない筆者だからこそ、もっと成長しなければ、このままではいけない、といつも危機感に突き動かされている。

 

安心した場所に居続ければいいのに、なぜ人は移動し続けるのだろうか。

 

生まれた場所で一生を終える人がこの世にどれほどいるのだろう。

なぜ私は移動し続けるのだろう。

出会っては本当の独りを知ってしまう絶望を何度も経験して動き続ける人類は、私にとってとても興味のある対象であり同時に愛しく、かなしい存在に思える。

 

ある人によっては、どうでも良いと思える、そんなもやもやを私は大切にしていきたい。